Tuesday, July 28, 2009

インターネット利用と学校の安全

最近(近年)デジタルツールやインターネット利用技術が発達し、使いやすくなり、誰でも簡単に情報発信できるようになってきたことと相反して、安全性の維持の観点からは競合する場面に合うことが多くなってきたように思う。

最近、私の身の回りでの例として、学校関係のお手伝い活動上の連絡手段に関するblogの利用があった。
私の視点からは、児童に対する安全配慮の意識が非常に高い立場と、安直に情報を発信/受信しようとする立場に考えの開きがあり、その考えや立場をお互い十分に伝えきれないままblog利用をとりやめにしたことから、強制的な措置を執られたように勘違いがうまれ、そうした齟齬が次第に不信感に繋がりかねない、というように見えていた。

デジタルツール/インターネットツールの利用は無思慮に行うと便利さと引き替えに安全を失いかねず、一見相反する。このことをいくつかの観点からの考察し、それぞれの立場が認識を持つことが必要に思う。

(*) デジタルツールは、デジカメ、ビデオカメラ、携帯電話などの装置のことを意図する。
(*) インターネットツールは、携帯電話/パソコンなどのインターネットアクセスのための道具のことを意図し、それをどのように利用するか、撮影された写真/映像などのコンテンツをウェブ、eメールでどのように取り扱うかというあたりが論点になる。

現時点、挙げられる観点は次の3点。これが考慮すべき点となるだろう。
1. 安全の配慮
2. 機会の平等 -- 発信される情報は関係者みなが手にすることが出来るのか?
3. 説明責任 -- 何を重視するか、どこに判断基準をおいているかが、関係者全員の知るところになっているか?

【安全の配慮】
最も優先されるべきは児童の安全であるということを忘れてはならないと思う。
以前の記事で、日経ビジネスのコラムに触れたが、そこで取り上げられていたことと同じだと思う。
「みんなで楽しく」でも「お手軽に」でもなく第一に優先されるのは安全。

しかし、どのようなことが安全ではない状況に繋がるのかについては、例示して説明/啓蒙することも必要なのではないかと思う。
例としては、個人情報、外部に知らせる必要のない情報、が公開されることが思い当たる。
  • 個人情報は、児童、保護者、教職員が対象になるだろうし、顔写真、学校名、氏名、電話番号、通学経路、家庭状況(保護者の勤務先、兄弟に関する情報)なども含まれるだろう。
  • 外部に知らせる必要のない情報には、校内の情報、・・・ 時間割、クラスの担任などからはじまり、校内の警備情報、建物配置、等々も含まれてくる。

【機会の平等】
インターネットがいくら普及してきているからといって、万人が標準的に使えるツールになるには至っていないと思う。IT企業に勤めているなど、ツールを使いこなす技能を持っている人たちと、そうしたツールに無縁な人も学校関係者には存在しうることは意識すべきだし、このことを承知の上で必要な情報を手にする機会が、デジタルデバイドによって失われないように配慮されるべき。

発信する情報としては、行事の公式度合い(在校(在籍)者に占める参加者の割合、参加人数など)に応じて報告連絡手段、使用するツールを使い分けることを考え、当然広く一般的なものであるほど最低ラインに近づけることが必要だと思う。

見えてくるのはこういう図式か・・
公式度 連絡通知手段
高い 1 学校の配布プリント
2 学校指定のメール通知サービス
3 電話、FAX
4 学校運営のウェブページ (公式サイト)
5 e-mail (メーリングリスト)
6 ウェブツール(blog, SNS (ソーシャルネットワークサービス) )
SNSサービス内で開かれる学校を主題としたコミュニティ
Blogサイトで学校を主題に記録されるもの
掲示板などで学校を主題に扱われるもの (非公式サイト、裏サイト)
低い 7 個人のウェブページ/Blogサイト/SNS

学校として公式に運用するのは、1~4くらいまでか。学校によっては手段として持っていないところもあるだろう。PTAとしては3~5くらいか。5以下は、アクセス手段を持っていない人のことを考えれば、自主運用とかごく内輪の集まりに限られてくるのだろう。

【説明責任】
最終的に、デジタルツール/インターネットツールをどのように使うかは、各自の判断に任されるところであっても、モラルの欠如が感じられ、安全上に支障がでてくる懸念があるならば、啓蒙活動、どのような判断基準をもつか説明することも必要なことだと思う。このことにより無用な誤解を生むことも減ると思う。

ブログ、メーリングリストなど、ツールはあくまでも手段。
何を優先し、何を重視しているか、どのような危険があり得るのか、誰が責任をとるのか、ということは自ずと分かってくるのではないかと思う。

教会での「証し」

26日、日曜日、父が普段行っている教会、阿佐ヶ谷教会の例会で「証し」として自伝的な話しをするというので聞きに行った。
話しの主な内容は、ボランティアとして活動してきた数々の支援活動を紹介するというもの。ネパールでの「みつまた」事業のこと、フィリピンでの水道事業による水の提供、国内にて心身にハンディキャップがある人たちが共同して生活し働く「供働学舎」、それぞれとの関わりを紹介するものだった。
(*)フィリピンでの水道事業については、「マロンパティの精水」という本に詳しく紹介されている。

父とは、折に触れいろいろなボランティア活動について話に聞いているのでおよそ内容は想像がつくのだが、「もう少しうまく説明できればよいのになぁ」というのが正直な感想。
しかし、活動している内容については、正直、私など足元にも及ばないバイタリティに溢れるものだと思う。

話のあとの質疑のなかで「父の出身校で受けた教育と、こうしたボランティア活動は関連があるのでしょうか?」という質問があった。
私から見れば、父の活動は学校での教育そのものだと思う。生活即教育として戦前、戦中、戦後に教育を受けてきた生徒達がその精神を実業でも遺憾なく発揮しているように思うし、さまざまなボランティア活動を行っていても、単に金銭、物資を送るような支援をするのではなく、どういう産業を興したら自分たちの手で収入を得られるようになるか、どうしたら自立することを手伝えるのか、ということを一番に考え、それを信念のように指導し、技術移転している姿をみると、そのように教育を受けていたのだと強く感じる。

自分として新ただったことは、父の祖母(落合うの、私の曾祖母)の代から阿佐ヶ谷教会に縁があったこと。質疑を通して、父の原点は学校の教育にあることを気づかされたことだった。

話を聞く機会を与えられ、ありがたかった。

Sunday, July 26, 2009

「日本語が亡びるとき」

いろいろな書評を見て、読もうと思っていた「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」水村 美苗 (著)
図書館の予約がやっと順番が回ってきた。
自分は読むのが遅い方なので読み終わるまでに期限が切れそうになってしまったが、読み切れた。

感想はひとこと。
日本語をもっと大事にしないといけない、と感じた。
我が家に買っておいても良いと思う。


フラッグ勉強会

25日、土曜日、フラッグフットチーム、低学年チームのお母様方からの要望で勉強会を開いた。
はじめ、準備段階では、要望のポイントがよく把握できていなかったのだが、内容は、ルールブックの解説というやり方で進めた。
午前中の時間で予定していたのだが、あっという間に時間切れ。試合のビデオなどをつかって実例を交えながらの解説も考えていたのだが、そこまでは至らなかった。

勉強会には子どもたちも参加。手前味噌で恐縮だが、我が長男はコーチの解説に対して「じゃ、それってこういうことですか?」とか「じゃ、こうやってもいいんですか?」と積極的に質問。グランドの様子などを見ている限りだと、男の子同士集まってふざけてしまい、コーチのいうことなど聞いていないかのように見えていたが、ちゃんとミーティングの主旨を理解していることが分かり、またおしゃべりするわけでもなく話の内容に焦点が合っていることがわかり安心した。学校の授業でもそうであることを願う。

このミーティングのもう一つのテーマは、子どもたちの指導方法について、だった。
お母様方からの要望としては、もっと厳しく礼儀、マナーの指導も含めてやってほしい、というのが本心のようだった。
指導については、試行錯誤がつづくと思うが、マナー指導はもっと厳しくしても良いのだろうと思った。

Thursday, July 23, 2009

日食観測

22日(水)
子どもたちと日食の観測をした。といっても、逗子・鎌倉はもとより日本全国曇り空。太陽は見られなさそうだった。

丸の内のJAXAiにて、日食観測のイベントがあるということを知り、子どもたち2人をつれて行くことにした。ここでの目玉は、インターネット衛星「きずな」を使って皆既日食の映像を伝送し、中継画像を見られることと、専門家による解説が聞けることだった。

施設としては10:00開館。時間に合わせて行くとすでに列が出来ていた。聞くといすの準備が50席しかないため、先に来た人から優先的に入場させているとのこと。早い人は9:00ごろから来ていたようだった。私たちは、立ち見。とはいえ正面の画面や解説の方の顔も直接見える場所だったので、比較的前の方ではあった。

JAXAiでは、太陽について、日食についてを解説いただきながら、各地の観測状況を進みに合わせて中継を入れるように進行。
解説では、なぜ日食やダイヤモンドリングが出来るかということや、過去の観測で、宇宙から(天気の影響を受けずに)観測した日食の画像を見せてもらったり、日食により月の影が地球に落ちる様子を宇宙から撮影した画像を見せてもらうことが出来た。

中継映像は、奄美大島、硫黄島、小笠原から集まってきていたが、奄美大島近辺も曇り空。直接観測は出来なかったようだ。硫黄島は、民間人は立ち入れないのだが、ハイビジョン映像が中継で見られ、良かったと思う。一番顕著に日食が見られたのは、小笠原の「木もれ日」観測だった。
(*) 木もれ日観測は、葉っぱの間を通った光がピンホールカメラの要領で太陽の形のかげを落とすので、その形を観測しようというもの。
小笠原からの映像では、とてもきれいな三日月形がいくつも重なって見られた。

日食ははじめ、奄美大島で皆既日食入ったことがわかる。雨雲越しにダイヤモンドリングを見ることは出来なかった。その後30分近く経ってから硫黄島で皆既日食に。月の影が地表を移動していく様が想像できる時間だった。

子どもたちに、2時間近くの立ち見はちょっと酷だったと思う。長男の方はべそをかくほどだったが、回りの迷惑を考えてか、わめくわけではなく分別はあったと思う。べそをかきながらも解説の内容は頭に入っている様子だった。

鎌倉ハイキング

20日、月・祝
家族みんなそろって、鎌倉のハイキングに行った。

ここ数年、夏休み中に1日は「歩く」日 --- 2007年、朝比奈切通し、名越切通し、2008年、自宅-学校往復 --- を作っていたため、今年もその日を作りたかった。
もう一つ、長女の学習のため、「鎌倉ガイド協会」(旧シルバー・ボランティアガイド協会)のことを知りたかったこともあり、このガイド協会の方にガイドをお願いし、切り通し歩きをメインに鎌倉の史跡をめぐるハイキングにした。

ルートは、次のようになった。
鎌倉駅 == 寿福寺 == 仮粧坂切り通し == 源氏山公園・葛原岡神社 == 大仏ハイキングコース == 高徳寺拝観(大仏拝観) == 鎌倉駅

計画時点ではあまり乗り気ではなかった子どもたちも、「大仏様の中に入れる」ということに釣られて次第に乗り気になり、当日は、あまり文句も言わずに歩ききることが出来た。昨年、一昨年は歩いている間中文句たらたらだったことを考えると、ずいぶん進歩したと思う。
予定では、13:30頃に鎌倉に戻ってくるプランだったが、高徳寺で解散、時間はほぼ予定どおりだった。

感想はいろいろだが、
普通の古物商に見える民家が実は名刀正宗の鍛冶屋の末裔だと聞き感心したり、寿福寺の参道の美しさに心を惹かれたり、仮粧坂の険しい坂を馬を担いで下ったことを聞きおどろいたり、大仏切り通しは土砂崩れ通行止めで通れず残念だったり。

印象的だったのは、大仏ハイキングコース。山道を30分以上あるくのだが、子どもたちはここを歩いているときが一番元気だった。森の中のアップダウンを駆け下りたりするのが楽しいのだろう。やはり、子どもたちは自然の環境で育てるのが大切、と思わされる。

大仏ハイキングを満喫した一日だった。

フラッグ練習

もうすでに次の週末が近づいてきてしまったが、この前の土曜日(7月18日)

子どもたちも夏休みに入り、春季の最後の練習になった。
チームメンバーは、辻小のイベントに多くが出払ってしまったためグランドに集まったのは10人ちょっと。
練習内容は、遊びを中心に、リレー競争や、ドッジボール、フラッグとり(鬼ごっこ)をやった。
長男も含め、普段と違う練習で楽しかったようだ。子どもたちも本能的に競争することに楽しさを感じるようで、リレー競争は盛り上がった。

練習は早朝だったため、10:00には終了。私はその後小学校でのバザー準備に合流した。

バザー準備では、フトしたきっかけで、こどもにフラッグフットボールをやらせてみたいというあるお父さんと話をした。
チームとしては、常にメンバー募集状態。とてもありがたいことだが、タイミング的にはちょっと難しい。
夏休み前の練習はすでに全スケジュールを終えてしまっていて、今度の練習は夏合宿。その後は秋の試合に向けた練習に入っていくためにチームとしてのまとまりが大切になってくる。
いきなり、合宿参加というわけにもいかないし、試合に向けた練習のなかでは疎外感を感じさせてしまうのでは無かろうか。
合宿での練習に日帰りで見に来てもらおうかと思う。
合宿、今年は「県立三浦ふれあいの村」で行う。我が家も初合宿。楽しみだ。

Tuesday, July 21, 2009

夏の買い物

地デジ化、エコポイント等々の要因が重なり、我が家も買い物に踏み切った。

父の影響もあり、私自身は長らくソニーびいきだったのだが、デジタル家電はソニー以外のメーカーをいろいろと試すように買っていた。今回の買い物は、またソニーに戻ってきた感じ。
メーカーごとに特徴があり商品造りのコンセプトなどが使い勝手に現れてくるが、私としては、ソニーが使いやすいと再認識する。

最近のソニーで唯一気に入らなかったのは独自規格のメモリースティックへのこだわり。これがネックでソニー製を選ばないこともあったのだが、最近はメモリーカードの規格も世の大勢が固まってきつつあり、ほぼSD Card が主流になっていると感じる。ソニーもそれを汲んでのことか、SD Card も読み込めるような製品も出てきているようだ。

Tuesday, July 14, 2009

Safety

最近読んだweb記事、日経ビジネスのコラムから。
「社長の話がわかりやすい会社は伸びる」というコラム。
コラムの一節にディズニーランドのアルバイトも含めたキャスト(従業員)が大切にしていることとその優先順位を紹介している箇所があった。
 キャストに最も大切にしてもらいたい4つのうちの1番目は何でしょう。来園されたゲスト(お客様)に接するうえで、一番大切にしてほしいことです
そして、その答えは、(いきなりネタバレですが)
 「ディズニーテーマパークには、『SCSE』という行動指針があります。【Safety 安全】、【Courtesy 礼儀正しさ】、【Show ショー】、【Efficiency 効率】の頭文字をとったもので、全キャスト(従業員)にとって、ゲストに最高のおもてなしをするための判断・行動のよりどころとなります」
いま、学校で開くバザーの準備を進めているが、これは非常に指針として参考になる。もし出来ることならディズニーランドのような一日にしたいと思う。単にアトラクションの魅力だけではなく、安全に一日を終えられるように願う。

このコラムに関連して考えることはもう一つ。自分が規範とする価値観をどう持つかということ。

バザー準備のなかではいろいろと意見の衝突を見ることもあるが、そのときに上に立つものがどのように判断しているか、自分が、時・場合を限らずに、判断を迫られる時にどのような規範に従って決断するのか。
哲学、ポリシー、美学とでも言うべきか。
常に考えて実践できるようにしておきたい。

フラッグフット練習

11日、土曜日、フラッグフットの練習に長男といく。
夏休み間近で春シーズンの練習も残りわずか。
大会が終わった時点で新しい作戦の練習を始めた。いわゆるプレーブックを切り替えた。プレーブックは他のコーチに考えて頂いたが、プレーの選択肢が広がりゲームを組み立てやすくなった。

フォーメーション練習では二つのプレーを何度も練習し、子どもたち選手はいろいろなポジションをローテーションしながら入ってもらった。
その後のミニゲームでは上級生チームに初勝利。主力選手を書いたチームだったが、6年生相手のハンディをつけたゲームではなく、5人対5人での勝負での勝利。嬉しかった。

この調子で、秋のシーズンも勝てるとよい。

Monday, July 06, 2009

近代美術館

5日、日曜日。外出の予定は特になかった。

7月の第一日曜日だったので鎌倉の近代美術館ファミリーコミュニケーションの日で無料。長男と二人でいってきた。展示は、建築家の坂倉準三氏の作品。
長男は壁の展示には目もくれず、通路に展示されている模型が興味の対象。そちらの方がよほどおもしろいようだった。

展示のなかで興味を引かれ、また身近に感じられたのは、東レの基礎研の建物が氏の作品だったこと。
先日フラッグフットボールの練習で東レのグランドをお借りしたときにその建物を目にしていたし、展示されていた模型は周囲の地形まで再現されていたので、「この建物のこっち側に、このまえのグランドがあったね」と臨場感あふれて鑑賞できた。

もうひとつ、長男の興味は、建築設計図。いわゆる青写真。様々な作品の青写真の抜粋がそのまま本の形で手にとって自分で広げて見られるようになっていたのだが、1冊全部の図面に目を通すほどだった。「この図面は、あの模型のものだね」とか、「この図面は建物をこちら~見たものだね」など、自分で納得して見ているようだった。

フラッグ練習

4日、土曜日、
フラッグ練習に参加する。

低学年チームも秋のシーズンに向けて徐々に準備を始めた感じだ。
春の試合で課題だった部分の個人練・基礎練をすることと、学年があがって来て新たに出来ることが増えてきたことに応じてプレーの種類も増やしてきているので、その練習。プレーコールを出す立場としては、プレーのバリエーションが広がり、コールを出しやすくなった。

練習の締めはミニゲーム。高学年チームに併せて低学年チームも2試合やらせてもらった。
6年生チームとの対戦では、3本の得点を上げられたのはとても励みになるだろう。(6年生チームにはハンディをつけてもらって5人対3人で試合をした)

長男は時間いっぱいの練習でへとへと。帰りの車ではぐっすりと寝られた。