Saturday, October 02, 2010

やる気を伸ばすには、つまづきのポイント

学校からのプリント、学年通信にて、子どもの学習に関する指導を頂いた。

「つまづきのポイント」と題する箇所では、算数と国語の2教科で、今この時期に学習の習慣として身につけておくべきことが書かれている。
算数では、計算が誤っていることに対して、いかに違和感を覚え、気づくかがポイントである(その通りだと思う)。そしてその感覚を養うための方法がいくつか紹介された。一つの方法として、規則正しい生活--日常生活の決まり事を忘れずにこなす--というのはなるほど、と思うところだ。
国語では、日記の書き方が単調にならないための工夫。長男には是非とも参考にしてもらいたい。

「やる気を伸ばすには」という箇所では、親/家庭でのあり方についての指導。
こういう保護者向けのメッセージを学校から出してもらえるのはありがたい。子どもの学習法に限らず、家庭が学校の活動に参加することでも、以前ならば「そんなこと当然」とか「そんなの常識でしょ」と考えられているようなことも、やはり、学校があるべき姿を示すことは必要になって来ていると感じる。

最近、聞いた言葉に、ハイコンテクスト文化、ローコンテクスト文化がある。
意味については某Webより引用するが、
ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化のことで、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことです。
とりわけ日本では、コンテクストが主に共有時間や共有体験に基づいて形成される傾向が強く、「同じ釜のメシを食った」仲間同士ではツーカーで気持ちが通じ合うことになります。ところがその環境が整わないと、今度は一転してコミュニケーションが滞ってしまいます。お互いに話の糸口も見つけられず、会話も弾まず、相手の言わんとしていることがつかめなくなってしまうのです。このことから、日本においては、「コミュニケーションの成否は会話ではなく共有するコンテクストの量による」ことと、「話し手の能力よりも聞き手の能力によるところが大きい」ことがわかります。

一方、欧米などのローコンテクスト文化ではコミュニケーションのスタイルと考え方が一変してしまいます。コンテクストに依存するのではなく、あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとします(見方を変えればコンテクストに頼った意思疎通が不得意とも言えます)。そのため、言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示し、コミュニケーションに関する諸能力(論理的思考力、表現力、説明能力、ディベート力、説得力、交渉力)が重要視されることになります。
日本はハイコンテクスト文化だと書かれているが、次第にローコンテクスト化しているように感じる。また、家庭内の関係が希薄になり、伝統伝承の機会が少なくなってきていたり、世の中が文化的背景の異なる人たちと国際的に競ったり協力しなければならない時代になって来ているので、自分では当たり前と思っていることもいちいち説明しなければならなくなっていくのだろう。

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