何で「9歳から」何だろうね。
思うに、そろそろパソコンをおもちゃとしてではなく使えるようになってくるのが、9歳=3年生くらいからなのではないだろうか。
ローマ字を習うのも3年生のようだし、初めてパソコンに触れる基礎が整う、と考えられているのだろう。
子育て、子供の教育を中心に感じたことを記す
人はプレッシャーやストレスにさらされると、その現実から何とか逃げだそうとします。学生時代に、試験前日になると普段はまったく意識に上ることもなかった本棚の整理や部屋の模様替えがしたくなるという経験をお持ちの方は少なくないと思いますが、まさにこの心理です。自分でも思い当たるし、長女が宿題を目の前にして様々な横道にそれていくのはまさにこの心理なのだと思った。
小学校の教科の学習にパソコンは不要、と考える一方で、子どもたちにはコンピューターの仕組みやプログラムのことを教えたいとも思う。
図書館へ行って、小学生向けのパソコン、インターネットの入門書をぱらぱらっとながめてみたが、メールソフトの使い方などの how to ものが多く、あまりピンとくる本はなかった。唯一、「これならよいかも」と思ったのは、「コンピュータに教えよう」(岩波書店、小谷善行氏、黒崎玄氏)という本。コンピューターがプログラムで動くことを、特定のプログラム言語を解説するわけではなく、教える本だった。
書籍にたよることができないのなら自分でカリキュラムを作って教えるのも一考だ。ただ、子どもを飽きさせずに興味を続けさせるのは難しいことだと思う。どんな順番で教えるかが考えどころだと思う。
ざっと思いついたカリキュラムの素案
まだまだ、だいぶ考慮の余地がありそうだ。
自分で作ったプログラムが動くことを見て楽しくなるには、絵が出てきたり、ものが動いたりするのがよいだろう。LEGO の mindstorms なんかは動きがあって良さそうに見える。
さてさて、学習の目標をどこに設定しようか。
簡単なプログラムを書けるようにしようか、自分でホームページが作れるようにさせようか。
語学通信講座で送られてくる会員向け情報誌のコラムから。
コラムの趣旨としては、10分、15分といった細切れの時間でも集中して勉強するクセをつけるとよい、というものだった。
集中を妨げる要因としてあげられていたのがケータイ。
メールや着信が気になって仕方ない人たちの様子が書かれていた。携帯電話ヘビーユーザーの心理を調査した結果からケータイ中毒状態の現代人の姿が浮かび上がって来た、とのこと。
こういうコラムを読むと、自制心などを期待できない小学生の子どもに携帯電話を渡すのはまだ早いと思ってしまう。
そう思う一方で、携帯電話を遠ざけるばかりだと上手に使うつきあい方を学ぶ機会を失うことにもなる、とも思う。
色々な約束や制限をつけながら徐々に使わせていくのがよいのだろう。
・使う時間(渡す時間)を決める
・メール、ウェブは使わない
・通話先を制限する
・通話料金の上限を決める
などを段階的にやっていくのだろう。
メール機能や発信先が制限された「子ども向け」携帯電話も出てきているようだ。
まだ子どもから「携帯電話が欲しい」とも言われていないし、生活の中で必要性も生じていないので、実際に「子どもに携帯電話を使わせるかどうか」で悩んだり子どもと話したりするのはもう少し先のことだろう。
「(教育とは)何十年も先を見据えて、どんな日本人に育ってほしいかを考えなければならない。」と言う言葉。