6月25日 日経朝刊 神奈川版 社会面から
学校に理不尽な文句をつける「クレーム親」の話題が取り上げられていた。
クレーム親が増えて来ているため学校が対応に苦慮している。最近では弁護士の力を借りる自治体も現れたとのこと、学校現場の模索を伝える内容。
今まで、テレビや新聞のニュースを見る限りでは不当要求の相手は企業だったり個人消費者だったりで、教育現場が対象になったというのはあまり目に触れなかったように思うが、最近の調査では無理な要求をする親が増えていると感じている教師がほとんどなのだそうだ。
クレームの内容を見ると理不尽な要求も多く、学校側も対応に戸惑うところが多くのだろう、と想像する。記事では、充分に話し合うことと毅然と対応することを対策として挙げていた。
7月12日、毎日新聞の社会面にも同様の記事が載った。先生は「訴訟保険」に入る一方で、「本音の交流が必要」という内容。
このようなことが新聞記事に載せられているのと相前後して、渡邉美樹氏の本を読んだ。
きっかけは日経ビジネスのオンラインコラムワタミ社長渡邉美樹の「もう、国には頼らない」を読んだことだ。
学校教育などの公的サービスにも市場メカニズムの競争原理を持ち込んだ方が、結果として品質の高い教育へ変わらざるを得なくなるはず、とのこと。
間違えてはいけないのは、「学校の生徒を”お客さま扱い”する」ということについての考え。書籍「もう国には頼らない」から引用するが、
学校教育サービスを受ける、という意味では、学校にとって生徒は「お客さま」かもしれません。けれども、居酒屋のお客さまと異なるのは、生徒の場合、学校から受けた教育サービスを元手に、自らが成長することが目的であるという点です。そう、生徒は本来、学校教育を客体的立場でただ「消費」するのではなく、学校教育を主体的立場で「吸収し」、自らの未来に活かしていく。そのために学校で教育を受けているのです。また、
私は、学校と教師に、自分たちの生徒にこびへつらい、「お客さま扱い」しろ、と言ったことは一度もありません。そんな扱いは結局生徒たちのためにならないし、生徒たちの幸せにつながらないからです。この本のこの箇所を読んだときに感じたのは、(こじつけかもしれないが)このように「お客さま扱い」される立場、と勘違いしている親たちがクレーマーとなっているのではないか、と言うことだ。
ですから、生徒を「お客さま」と考え、彼らが将来幸せになるため最高の教育を届けよう、というのと、生徒を「お客さま扱い」し、甘やかしスポイルする、というのは、ことば面はにていても180度逆のお話なのです。そして私が進めている教育改革は、もちろん前者のほうなのです。
真の教育改革を行っていく上で、学校は生徒を「お客さま」と考えていくことは必要だと思うし、このような勘違いしているような家庭に対しては、教育の理念に基づいて説明、説得、などの対応をしていかなければならないのだろう。ある意味、教育改革を進めていく上での「産みの苦しみ」なのではないか、と感じた。
この種のトラブルは逃げずに向き合うのが取るべき対応なのだと思うが、対応する先生にも理想を追い求める信念が必要なのだろうと思う。 (大変だとは思うが・・・・)
ところで、私が渡邉美樹氏に対して感じる印象は、言っていることは理念とか目指す方向には共感を覚えるのだが、実際の活動はどうも革新的すぎてついて行けない、というギャップを感じてしまう。
まだまだ、自分も甘いのだろうか。
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