Showing posts with label moral. Show all posts
Showing posts with label moral. Show all posts

Friday, December 20, 2013

歩きスマホ

スマートフォンの話題をもう一つ。

1ヶ月ほど前、こんな記事を目にしていた。「スマートフォン:危険な距離感 「個室」身にまとい歩く 現実からは隔離」
東武東上線の踏切で、近くに住む男性が電車にはねられて死亡した。「衝撃的」なのはその状況だ。
男性は携帯電話の画面を見ながら、真ん中の隙間から体で遮断機を押し開くようにして踏切内に入っていった。そこに右から上り電車が来た。家族の話では自殺する理由はないとのこと。
いくらなんでも、そのようにまわりに注意を払わずに往来を歩くのは多くあることではないと思っていた。自分でも似たような状況を目撃するとは思わなかった。

都 内の路上で、前の信号は赤、左右を(子どもに教えるように)見れば自動車が近づいているのが判るのに私の隣を歩いていた男性はその交差点で止まらずにずん ずんと進んでいった。その人は、車が鳴らしたホーンの音で気づき、道路の中央あたりから引き返し、事故にはならずに済んだ。
本当に、「個室」を身にまとって歩いていると感じた。

同じく上記の記事から抜粋すると、
スマホ保有者の9割以上が歩きながら操作すると回答。「ぶつかるのは、相手がよけないから」と自分勝手な言い訳をしているのだ。
「歩きスマホはよそ見に他なりません。にもかかわらず、よそ見が悪いという意識がほとんどない」
ニュースで、歩きスマホを禁止するアプリがあることを知った。
はじめ、このニュースを見たときには、「歩きスマホ」をするひとが、好きこのんでこのようなアプリを使うわけはないと思ったが、子どもに持たせるスマホに親がインストールさせるような使い方は有りだと思い直す。

小学生、歩きスマホで事故に遭わないことを願う。

Tuesday, December 17, 2013

「スマートフォン」と「スマホ」

仕事で資料を作っているとき、「スマートホン」ではなく「スマートフォン」だと指摘を受けた。省略するときは「スマホ」なので「スマートホン」でよいではないかと思ったが、ウェブを検索してみたらそのものずばりの記事にたどり着いた。
http://www.nhk.or.jp/bunken/kotoba/kotobax3/index.html
「スマートフォン」と「スマホ」
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/kotobax3/pdf/090.pdf

NHKではこのように「ことば」に関する研究も行っていて、定期的に情報を発信していることを改めて知った。さすがNHKと感心する。
それにしてもここのコラムは面白い。掘り出し物を見つけた感覚。タイトルを見ただけでじっくり読んでみたいと思う題材がたくさんある。また長男も興味を持ちそうな内容。

スマートフォンのことは長男の学級通信にも取り上げられている。
先生の注意喚起のメッセージから、学校で児童の間でどのようなことが問題になっているのかうかがい知れる。

学校裏サイト、出会い系サイトやSNSでの交流、高額請求,ネット依存症、ネット上のいじめ等々、携帯電話、パソコン、インターネットを介した児童間、生徒間のトラブルは日に日に切り口を変えて世間で話題になり問題になっているように感じる。
保護者は、子どもたちを危険から守るために子どもたちを啓蒙したり家庭でのルールを決めたり、防御機能(フィルタリングサービスなど)を活用することが務めだと思うが、そういうことに無頓着な、無関心な保護者もいらっしゃるようだ。子どもたちに良質の教育を授けたいと思われ子どもたちを通わせている学校の関係者としては少し残念に思う。

学校で保護者向けの安全講習会のようなものを開いてもらえるとありがたいと感じる。いや、保護者側が企画して勉強会を開いたり専門家を招いて指導してもらうことを考えた方が良いのかも。

Wednesday, May 08, 2013

保護者の傾向


学校について考えるきっかけがいくつかあった。
自分の考えをまとめられるよう、すこしメモしておきたい。

世代が移り変わるとともに、その世代での中心的な考えだったりトレンドのようなものが変わっていくのは普通のことだろう。
近年はネット社会の発達とともに情報の均質化、価値観の画一化が進んでいるのではないか。そしてその価値観は少子化傾向と相まって学校選びのための分かりやすい部分 ---- 進学先、偏差値、学校設備、保護者の負担 (経済的な面/労力、時間的制約の面)など、「だけ」が指標になっているのではないかと感じる。
個人的には、教育理念の背景なく分かりやすい表面的な指標「だけ」で学校が評されてしまわないよう、学校の特徴、価値観はそれぞれの学校の教育目標、教育方針、教育理念などで特徴付けられていて欲しいと願う。

かつては(今でも(?))教育理念に沿った行動を自らとることはできていなかっただろう。が、子どもたちを学校に通わせているうちに、保護者向けに開かれる講座から教わったり、先輩の保護者の行動の精神的な部分を見習ったりしながら目指すところに近づけるようにしてきたつもりだ。
最近身近に感じるのは、一見してわかりにくいような精神的な部分は置き去られ、分かりやすい指標をたよりに行動している方々が多くなっているように思うこと。

具体的な例として学校行事への参加するような場合、それが労働力の提供であっても、児童の世話役であっても。参加することを楽しむのはよいと思うが、行事に参加する保護者に求められる役目よりも自らの楽しみを優先しているように感じられるケースを目にすることはとても残念に思う。

「憲章」のように教育理念を一段階具体化したようなこと、目指す価値観が、文字で表されていると分かりやすいのではないか、とも思う。

Wednesday, November 23, 2011

携帯電話の約束

長女とのあいだで、携帯電話の使い方を話したのでそのことについて。

夏休み中、生活に関する家での約束を守れなかったことから取り上げてあった携帯電話だが、部活の連絡などで必要に迫られてきた様子。

携帯電話の使い方について改めてルールを決めるべく話をした。日ごろ、自分の習慣/行動の中で「してはいけないこと」はやらないが、子どもに説明するために「なぜ、やってはいけないか」改めて問われると言葉にすることが難しかったりする。
参考にしたのは携帯電話会社のウェブページ。こうして改めて、具体的な表現があると、自分の考えも整理される。

Tuesday, October 04, 2011

やる気の問題

長男に勉強をさせるには苦労する。宿題を始めるまでには、その気になるまでにとても時間がかかる。
せっかくはじめても、ちょっと興味をそそることが横で起きれば、すぐに気がそらされてしまう。集中力が足りないからか。

集中力といえば、学校プリントでもEasy miss, Careless miss が目立つようだ。(名数の付け忘れとか、演算を間違え--引かなければならないところを足してしまったりとか)

一方、フラッグフットボールチームのコーチとしては、子どもたちのやる気の出させ方に悩ませられる。小学生のスポーツでは本人のやる気がとてもパフォーマンスに影響するからだ。遊び感覚で楽しんでやっていれば疲れ知らずでいくらでも動いているかと思えば、気分が乗らなければチーム内で俊足を誇る子どもでもすぐに相手に捕まったりする。
別な側面としては、競技大会になれば勝負のためになかなか出場機会の得られない子どももいる。そういう子どもたちをいかに興味をそがずに試合に惹きつけておくか。
秋の大会、公式戦に向けては、子どもを「その気」にさせることが大事。

日経のコラムに面白い記事が載っていた。
http://www.nikkei.com/sports/column/article/g=96958A88889DE1E7E3E0E2E7E5E2E0E5E2EBE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E2E5E2E6E0E2E3E3E2E5EAE6
ストーリーはサッカーのイタリアプロリーグの話。監督が超一流の選手たちを一つの目標(チームの勝利,リーグ優勝)に向かわせるための操縦術について。
「ここを直さないと試合では使えない」ではプライドが傷つき、へそを曲げてしまう。「お前のこういう能力は認めているが、チームが次のレベルに行くためにここも意識してやってくれ。それをやってくれるならお前をチームの中心として考えていく」というようなアプローチ。「それができないなら昨季と同じ成績になってしまう。それでお前は満足なのか」と。

もっとポジティブな「我々は世界一のチームなんだ。その称号を手にするために、証明するために、ここはやろうぜ」というアプローチだったと思う。そうでないと、あそこまで生き生きと守りに奔走できない。「頑張れ」を100回言っても心に火は付けられないものだ。
ことわざの「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」にも通じるか。
人をやる気にさせる振る舞い方がある。自分でもそのようになりたいと思う。

私の懸案のどちらにも通用する話だ。

Sunday, October 11, 2009

インフルエンザ

土曜日、幹事さんの仕事で学校へ行った。
バザーを終えて、来年への引き継ぎ資料を作っているが、資料に反映させるために今年使用した機材類の保管場所保管状態を確認するのが主な目的。

午前中の仕事だったため、午前中から出かけていたが、お昼頃に妻から電話。長女が具合が悪く、医者に連れて行ったところインフルエンザだとの診断。最近は簡易検査でも新型の判定ができ、新型だとの判定。

職場の基準では家族に感染者がいる場合は出勤停止扱い。期限は発症から7日間だ。
逗子地域ではどうもインフルエンザがはやり始めている。

蔓延拡大防止に努めなければ。

Tuesday, July 28, 2009

インターネット利用と学校の安全

最近(近年)デジタルツールやインターネット利用技術が発達し、使いやすくなり、誰でも簡単に情報発信できるようになってきたことと相反して、安全性の維持の観点からは競合する場面に合うことが多くなってきたように思う。

最近、私の身の回りでの例として、学校関係のお手伝い活動上の連絡手段に関するblogの利用があった。
私の視点からは、児童に対する安全配慮の意識が非常に高い立場と、安直に情報を発信/受信しようとする立場に考えの開きがあり、その考えや立場をお互い十分に伝えきれないままblog利用をとりやめにしたことから、強制的な措置を執られたように勘違いがうまれ、そうした齟齬が次第に不信感に繋がりかねない、というように見えていた。

デジタルツール/インターネットツールの利用は無思慮に行うと便利さと引き替えに安全を失いかねず、一見相反する。このことをいくつかの観点からの考察し、それぞれの立場が認識を持つことが必要に思う。

(*) デジタルツールは、デジカメ、ビデオカメラ、携帯電話などの装置のことを意図する。
(*) インターネットツールは、携帯電話/パソコンなどのインターネットアクセスのための道具のことを意図し、それをどのように利用するか、撮影された写真/映像などのコンテンツをウェブ、eメールでどのように取り扱うかというあたりが論点になる。

現時点、挙げられる観点は次の3点。これが考慮すべき点となるだろう。
1. 安全の配慮
2. 機会の平等 -- 発信される情報は関係者みなが手にすることが出来るのか?
3. 説明責任 -- 何を重視するか、どこに判断基準をおいているかが、関係者全員の知るところになっているか?

【安全の配慮】
最も優先されるべきは児童の安全であるということを忘れてはならないと思う。
以前の記事で、日経ビジネスのコラムに触れたが、そこで取り上げられていたことと同じだと思う。
「みんなで楽しく」でも「お手軽に」でもなく第一に優先されるのは安全。

しかし、どのようなことが安全ではない状況に繋がるのかについては、例示して説明/啓蒙することも必要なのではないかと思う。
例としては、個人情報、外部に知らせる必要のない情報、が公開されることが思い当たる。
  • 個人情報は、児童、保護者、教職員が対象になるだろうし、顔写真、学校名、氏名、電話番号、通学経路、家庭状況(保護者の勤務先、兄弟に関する情報)なども含まれるだろう。
  • 外部に知らせる必要のない情報には、校内の情報、・・・ 時間割、クラスの担任などからはじまり、校内の警備情報、建物配置、等々も含まれてくる。

【機会の平等】
インターネットがいくら普及してきているからといって、万人が標準的に使えるツールになるには至っていないと思う。IT企業に勤めているなど、ツールを使いこなす技能を持っている人たちと、そうしたツールに無縁な人も学校関係者には存在しうることは意識すべきだし、このことを承知の上で必要な情報を手にする機会が、デジタルデバイドによって失われないように配慮されるべき。

発信する情報としては、行事の公式度合い(在校(在籍)者に占める参加者の割合、参加人数など)に応じて報告連絡手段、使用するツールを使い分けることを考え、当然広く一般的なものであるほど最低ラインに近づけることが必要だと思う。

見えてくるのはこういう図式か・・
公式度 連絡通知手段
高い 1 学校の配布プリント
2 学校指定のメール通知サービス
3 電話、FAX
4 学校運営のウェブページ (公式サイト)
5 e-mail (メーリングリスト)
6 ウェブツール(blog, SNS (ソーシャルネットワークサービス) )
SNSサービス内で開かれる学校を主題としたコミュニティ
Blogサイトで学校を主題に記録されるもの
掲示板などで学校を主題に扱われるもの (非公式サイト、裏サイト)
低い 7 個人のウェブページ/Blogサイト/SNS

学校として公式に運用するのは、1~4くらいまでか。学校によっては手段として持っていないところもあるだろう。PTAとしては3~5くらいか。5以下は、アクセス手段を持っていない人のことを考えれば、自主運用とかごく内輪の集まりに限られてくるのだろう。

【説明責任】
最終的に、デジタルツール/インターネットツールをどのように使うかは、各自の判断に任されるところであっても、モラルの欠如が感じられ、安全上に支障がでてくる懸念があるならば、啓蒙活動、どのような判断基準をもつか説明することも必要なことだと思う。このことにより無用な誤解を生むことも減ると思う。

ブログ、メーリングリストなど、ツールはあくまでも手段。
何を優先し、何を重視しているか、どのような危険があり得るのか、誰が責任をとるのか、ということは自ずと分かってくるのではないかと思う。

Tuesday, July 14, 2009

Safety

最近読んだweb記事、日経ビジネスのコラムから。
「社長の話がわかりやすい会社は伸びる」というコラム。
コラムの一節にディズニーランドのアルバイトも含めたキャスト(従業員)が大切にしていることとその優先順位を紹介している箇所があった。
 キャストに最も大切にしてもらいたい4つのうちの1番目は何でしょう。来園されたゲスト(お客様)に接するうえで、一番大切にしてほしいことです
そして、その答えは、(いきなりネタバレですが)
 「ディズニーテーマパークには、『SCSE』という行動指針があります。【Safety 安全】、【Courtesy 礼儀正しさ】、【Show ショー】、【Efficiency 効率】の頭文字をとったもので、全キャスト(従業員)にとって、ゲストに最高のおもてなしをするための判断・行動のよりどころとなります」
いま、学校で開くバザーの準備を進めているが、これは非常に指針として参考になる。もし出来ることならディズニーランドのような一日にしたいと思う。単にアトラクションの魅力だけではなく、安全に一日を終えられるように願う。

このコラムに関連して考えることはもう一つ。自分が規範とする価値観をどう持つかということ。

バザー準備のなかではいろいろと意見の衝突を見ることもあるが、そのときに上に立つものがどのように判断しているか、自分が、時・場合を限らずに、判断を迫られる時にどのような規範に従って決断するのか。
哲学、ポリシー、美学とでも言うべきか。
常に考えて実践できるようにしておきたい。

Wednesday, November 26, 2008

『子供のネット利用には専用の検索ポータルが必要』か?

ITmediaAlternative BLOG吉田賢治郎さんが件名の記事を投稿をされている。
これをきっかけに、すこし考えてみた。

1つめの記事の主題、「専用の検索ポータルが必要」かどうか、について、

発想の起点となっている、
子供の場合も検索ポータルが不可欠だ。 しかし、ワイセツな画像や残酷な映像がヒットすることを考えると小学生にGoogleやYahooをそのまま使わせることは、親としては心配がつきまとう。
「不可欠」というまで強固な思いではないが、同感する。また、考えるに当たっての優先順位、
①子供達が継続的に利用したくなる知的好奇心をくすぐる質、量のページが検索できる
②ワイセツ画像、残虐な映像を提供するサイトや明らかな違法サイト、不適切な文字を含むページがヒットしない適切なフィルタリング
③検索しなくても、カテゴリやバナーなどで子供が興味を持ちそうなページにアクセスでき、継続的にメンテナンスされる
④子供達が快適に利用できるアイディアが継続的に盛り込まれている。
子どもが興味の持つようなリンク集、教材など、子どもを対象に特化したサイトは必要だと思う
学習の進度に合わせてそのときどきで必要なコンテンツを提供する
学習の意欲をかき立てるようなことはあってよい。
も、ほぼ同感。

反対意見としては、次のような点が挙げられる。
要件のうち比較的上位に入れている「適切なフィルタリング」だが、ポータルがあったとしてもポータル以外の方法でアクセスできる---メールの添付されたリンクから開く、設定したポータル以外の検索エンジンを使う等の方法があるので、子ども用ポータルにフィルタリング機能をまかせるには片手落ちに思う。
その後の記事で、コンテンツアドバイザの試用など実践されているのでとても参考になるが、フィルタリングに関してはパソコン側あるいはプロバイダが提供するフィルターの方が効果的なのではないだろうか。

④子供達が快適に利用できるアイディアが継続的に盛り込まれている。
という観点では、学習進度、学年に合わせた教材コンテンツが準備されている子ども用ポータルは有用だ。以前に(2年位前)にちょっと試してみた程度だがYahoo!きっずキッズgooはこの点で強化されていると感じた。加えて検索結果で表示されるページに対して、独自にふりがなをつけられるのは便利だと感じた。(ふりがなは完璧ではないので、やはり親が見てやる必要はあると思う)
フィルタリングに関しては2次的に提供されているものと考えた方がよいと思う。2年前の時点では、Yahoo!きっずはホワイトリスト形式、キッズgooはブラックリスト形式なので、ヒットする検索結果としてはキッズgooの方が学習には役に立つのではないかと感じた。

コンテンツを中心に考えれば、「子ども」に特化したポータルがあれば良いと思うし、これらを提供できるのは、現時点では Yahoo!やgooなどの検索エンジンだが、学習雑誌の出版社や大手学習塾なども可能なことなのではないか。
また、インターネットへの入口という意味ではプロバイダが提供するポータルも候補に成りうるのではないだろうか。

Tuesday, September 23, 2008

プロフェッショナル

9月20日(土)付け、日経PLUS1、陰山英男氏のコラム「子どもと伸びる」から
「すみませんでした。しかしわたしの努力は認めてください」と言った。
これで説教のやり直しだ。なぜなら、努力で評価されるのはアマチュアだ。プロは結果がすべてだ。
というくだり。陰山氏は教育者であり、現職は立命館大学副校長。コラムの内容も若手の教師との問答を例に挙げているが、同様のことが会社での仕事にも当てはまる。このことをいかに若手に認識してもらえるか?

また、たまたま録画していた「プロフェッショナル仕事の流儀京菓子司の山口富蔵氏の回を見た。
これも、仕事の心構えとしてとてもヒントになった。

番組の紹介でも、番組の中でも言葉として現れては来なかったが「おもてなし」というキーワードを感じた。
(番組紹介ページから)
客の注文と真摯(しんし)に向き合い、誠意を尽くすことこそが仕事の本質
このことが心に響く。

番組の中に出てきた気になる言葉をメモ。
  • 京菓子はもてなしの食べ物。客を迎えて始めて成り立つ。
  • お菓子を作ろうと思ってはいけない。遊び心が必要。
    お菓子は単なる食べ物。遊びがあるからこそ物語が広がる。だから食べる人が楽しめる。
この言葉を、
お菓子を作ろうと思ってはいけない => 指示されたことだけをこなしていてはいけない
遊び心があるからこそ食べる人が楽しめる => お客様が喜ぶために付加価値を創造していく
というのは拡大解釈しすぎか。
しかし、心に留めておきたいことだ。

Monday, October 22, 2007

インターネット、パソコンの将来

最近、PC用のキーボードとマウスを買った。ワイヤレスのものだ。
これで、リビングでテレビ画面に映し、離れたところからパソコンを使えるようになった。

使い勝手を試していると早速長男が寄ってきて、マウスとキーボードを横取りすると自分の普段使っている画面を開き始めた。画面がテレビ(かなり解像度が低く画像が粗くなっている)に変わろうと、マウス、キーボードが普段と変わっていようと関係ないらしい。さすが、子どもの順応力は直感的だと感心する。

一方、長女もすぐにそれにならう。が、「あれ、このマウス、線がついていないよ。何で?」と疑問を発する。こちらも「普段とちがうところに良く気がつく」と感心。
手前みそネタで失礼しました。

しかし、子どもたちの世代では、パソコンやインターネットは水道や電気のような社会インフラとなり、使えることについて疑問を抱かなくなるのだろう。むしろ、その使い方、ルールやモラルを教えていかなければいけないのだと思う。

Wednesday, May 09, 2007

おもてなし

前の記事を書いていて思い出したのが、おもてなしの心。

最近みたテレビ-ガイアの夜明け 5月1日放送分のことも頭に残っていたのだと思う。

番組の内容は、二つのケースを紹介しながら、お客様を惹きつけるサービスを紹介していた。

ザ・リッツ・カールトンのサービス戦略とは?

“至れり尽くせり”の旅行を目指せ・・・


相手のことを本位に考えて行動することを子どもたちに考えさせ学ばせたいと思う。


聞き手のことを考えて

今度、長女のクラスが学校の自然教室での集まりにて、教室の説明をする。
教室内の各施設について新一年生に説明するために、自分で説明文を考え暗記する。機会があったので、少し手伝った。

声明文を覚えるのを手伝うため暗唱を聞き、聞いている立場で説明が足りないところを補ったりした。

まだ聞き手の立場でどんなことを聞きたいかを考えるには早いのかもしれないが、聞く人がなにを知りたいと思うか、何を伝えておかなければならないかと言うことを考える癖をつけるには良い機会だと思う。

いつ、どこで、だれが、なにを(どちらの)、なぜ、どのように、と言う要素を盛り込むことを覚えるのにちょうど良いと思う。