今週の「まなび再考」は、高校生の履修漏れと関連して生徒の勉強する時間が減っていることについて憂いている記事だった。少子化により教員が生徒のためにかける時間を増やすことができるようになってきているので、課外や宿題を活用し生徒に学習させる努力も、現場の危機感の表れの一つとして触れられていた。
記事の危機感に共感をおぼえる。
「ウェブ進化論
子育て、子供の教育を中心に感じたことを記す
NHKが全国の校長会会長宛に再発防止を尋ねた調査で、「現場の実態に合わせて学習指導要領を弾力的に運用できるようにする」という回答が87%に及んだという。目を疑った。また、次のように結論している。
”逸脱”高校の選択は顧客のニーズに応えることが至上命令の、市場サービス理論をむき出しにした。たとえ顧客のニーズにそぐわなくとも教えるべきを教えるのが、公教育の使命ではないのか。とのこと。
「教師が1時間しゃべり児童がそれを聞く」という一方的な授業よりも、「朝の読書」を受けている児童ほど学力が高い。また中学校では、
「質疑応答のある授業」や「プリントやドリルを使った授業」を受けている方が学力が高い2.子供の授業態度
ノートに重要事項を筆記する子や、解けるはずの問題を間違えるとくやしいと思う子は、学力が高い
「先生のいうことを聞く」「集団としてのまとまりがある」ことは中学校の場合学力にはマイナス。
競争的風土の生徒がよく勉強するからか?
「学校の宿題をきちんとやる」「毎日、長い時間勉強する」などの自宅での学習取り組み具合が学力に大きな影響を与える。
言われてみればその通りかも。いじめ問題の解決は簡単といえば簡単ですよ
子供を異質な複数の所属にすること。
学校と家庭というのが、二つの異質性になれば、それはそれでいいけど、それがどうやらダメっぽい。単純にいえば、家庭がそういう機能になってない。
三菱鉛筆・トンボ鉛筆・サクラクレパスは、以前より人の肌の色への固定観念を与える可能性があると指摘されていました『はだいろ』の表記を変更しました。とのこと、
JIS慣用色名一覧eWeb
JISの慣用色名(和名)Wikipedia
JIS慣用色名
パイプ洗浄剤を用いた葉脈標本の作製法
葉脈標本できれいなしおりづくり
重ソウで葉脈標本
他にも、いくつか参考になりそうなサイトをブックマークしておいた。 (http://b.hatena.ne.jp/tanakat03/%e7%90%86%e7%a7%91/)パイプ洗浄剤を使った方法が一番お手軽そうに見えたので、この方法にてトライ。
ささいな人間トラブルが無邪気な子供たちを死に追い込む空気は、実は我々大人がつくり出しているのだと認識すべきなのです。このことは心にとどめておきたいことだ。
長女が小学校へ入ったときにこのテーマを考えた。
最近セコムのブログサイトに表題のテーマでの意見募集が掲げられていたので、改めて考えをまとめてみようと思う。
セコムと話そう「子供の防犯」ブログ
<トラックバックキャンペーン>みんなで考えよう"子供の防犯""子供の安全"
携帯電話というデバイス対象ではなく、携帯電話のもつ個々の機能について要不要、他に手段がないのかなどを考えてみた。
【連絡手段として】
〈子どもから親へ〉
〈親から子どもへ〉
【位置確認手段として】
GPS機能などを利用して、親が調べるため
【緊急時の通報装置として】
子どもが自ら電話をかける
非常ボタン的な使い方
前回考えたことは、
連絡手段 (子供->親)
公衆電話で間に合わないだろうか。
子どもの行動範囲を考えると、訪問先の施設(学校、進学教室、友人宅)、駅など電話はありそうだ
もう少し大きくなって行動範囲が広がれば、再検討の必要がありそうだ。
連絡 手段(親->子供)
緊急時でなければ、あらかじめ行動予定を明らかにしておくことで連絡可能なはず。
前項のような行動範囲(学校、友人宅等)であれば親からの連絡は可能。
位置確認手段
これも前2項に似ているが、行き先を事前に知らせておくこと、行動予定を知らせておくことで事足りる。
緊急時通報手段
この項目は緊急時の定義やどこに通報すればよいかなどの要素を考えるのが難しいが、
防犯ベルで良いのではないか?
子供が犯罪に巻き込まれたような場合に、携帯電話の通話や非常ボタンが使えるかどうか疑問。
いまの携帯電話、ココセコムなどの位置通報サービスにどこまでの防犯効果があるかどうか疑問。 (どのような犯罪のどのようなケースには携帯電話を持っていることが有効で、どのようなケースには役に立たないか、スタディが出来ていない)
さらに発展系としては、ココセコムなどを利用した現場急行サービスも考えられるが、上記と同じく子供が緊急時を認識して、非常ボタンを押せるかどうかに疑問を感じる。
携帯電話でしかできないことは次の様なことだと思うが、それが必要な場面はほとんどないと思われた。
また携帯電話を持たせたい理由の一つには防犯があると思うが、前に上げたとおりケーススタディが出来ていないし、過去にニュースになったような子どもを対象とした犯罪(誘拐など)が、携帯電話を持っていれば防げたかどうか疑問だ。
不審者情報が聞かれるようになり、わが子に危害が及ぶのが怖い、という意見を目にするが、 不審者に危害を加えられそうになったときに、子供が携帯電話を持っていたからといって、なにが出来る?親に電話?110番?仮に親に電話がつながって、その時親はなにが出来る?
これらの疑問に、自分で納得できる答えは見つけられなかった。
一方で子どもに携帯電話を持たせることの弊害、心配事、リスクはないのだろうか
通話料金
通話先限定、通料金上限設定などのサービスはあるが。
メール利用に伴うリスク
文章での意志疎通の難しさ、出会い系、迷惑メール(脅し、不当請求など)
メールが利用できない端末にしても良いが。
ケータイウェブ利用に伴うリスク
メール利用のケースとほぼ同じ
通話同様にパケット料金の観点での懸念はある。
子ども携帯電話への想定外の着信
イタ電、間違い電話、悪意のある電話(嫌がらせ)
学校での授業の妨げにならないか
不意の着信、メールが気になる、等々
結論としてはありきたりだが、各家庭の事情の応じて決めればよいことだと思う。
我が家では、今のところ携帯電話は不要との結論に至っている。
子どもの成長に応じて段階的に利用できる機能を制御可能な携帯電話があれば、使わせるかも知れないなぁ。
10月17日の日経のコラム「大機小機」ではWeb2.0が取り上げられていた。
従来のテレビ、新聞、書籍、雑誌ではない、一般大衆がブログなどを通して情報を発信する時代。
こういう時代になってくると、情報の価値は人に読んでもらう、利用してもらうというところに生じてくる。
ウェブやブログで発信する情報に価値を持たせるため、多くの人に読んでもらうためには、ウェブページ、記事に含まれる情報に価値があること、読みたくなるように書かれていることが重要になる。
コラムの表現では作文力が必要で「『知識』よりも『知恵』」だという。
教育改革で大切なのは知恵を育むための作文力養成なのではないかと述べている。
作文を知恵と呼ぶのは疑問を感じるが、コラム全体のトーンとしては最近読んだ何冊かの本の内容にも通じているし、それを元に自分が持った考えとも一致。
子どもたちへの教育方針としては自分の考えをまとめ、組み立てられる道具として、「作文」訓練をさせること。そのためにたくさん読書をさせることが現時点でさせるべき勉強だと思う。
気軽に文章を書けるようなお膳立てをする
たとえば、親子で手紙を交換する、家族新聞を作成する、など。
# これは早速取り入れてみようと思う。どんな形だったら、自分が息切れせずに続けられるか、ちょっと考えてみてから。
やってはいけない例
-字が汚い、丁寧に書きなさいなどの指摘
-また同テーマの作文(日記)か。たまには別のことを書きなさい。など、子供のやる気をそぐような指導
とにかく、良い点を見つけてほめるようにする。最初のうちは、「長い作文が良く書けたね」などのほめ方でも良い。
また、作文に書かれたことについて、道徳の観点のみで指導するのはもってのほか。
(この本の場合、テーマが「作文指導」のため。 家庭での教育ではまた観点が異なるはず)
しりとりや、だじゃれなどを普段の会話から用い、言葉の感覚を養っておかないと、文章には反映されない。
子供の文章は、何かと「~して、~して、~して」と長々と一連の出来事が続けて書かれがちだ。一方で、句点は本来意味の区切りに打つべきだが、子供の作文では書くときの思考の区切りに打たれがち。よって、テンは少なめに。マルは、文章を短く区切るために多めにさせる。というのがこの本での要約。
# このことは、とりあえず頭の隅に置いておこうと思う。長女の書く文章については、しばらく眺めていよう。
子供の作文のタイトルにありがちな、「~~したこと」という題は加工としている出来事の全体を包括しすぎている。
テーマを絞り、その出来事の中で一番印象に残ったことを書くようにすると同時にそのしぼったテーマに合う題を付けるため、文章を書いた後で題を付ける
# 長女の日記を、昨日、今日の分を見たら、これまでの学校の指導のおかげだと思うが、このレベルのことは出来ているように思う。
# これから以下の部分に関しては、「なるほどな」と思うが、さし当たりは知識に留めよう。長女に当てはめて行くにはまだまだ先のことだろう。
「それで」など一つの接続詞だけでで文章をつないでいくと文章が単調になる。
接続詞で文章をつなぐためには、前後の論理的構造がなければうまくつながらない。特に文法を意識せずとも、意味が通るようにさせるために、文章を考えなければならなくなる。
子供たちに考える刺激を与えるために、使わせてみたらよいと思う接続詞が挙がる。
それで、だから、すると、けれど、ところが、なのに、そして、それから、その上、ただし、または、それとも、次に、
形容詞は書き手の感じ方が良く表現される。形容詞が足りないと思ったら、「それはどんな形だったのか、硬かったか柔らかかったか」など、質問をして子供に思い浮かべさせてみる。
実際には出さない、架空の手紙を書かせてみる。
子供の性格により、得意な文章の分類があるようだ。そのような特性があることを知っていると良い。
文章の種類:
調査報告文、物語、観察文、事実を新聞記事のように書くこと、宣伝文、等々
親が子供の手本となる。
本をたくさん読ませる。
# これも学校の指導のおかげ、比較的実践できている用に思う。
書いたことが独りよがりになっていないか、読み手の理解のために説明が必要な部分は説明をしてあるか?今度から、日記や作文を見るときにはこのようなことを気にしながら読んでみたい。
自分の考えを表現できるようになるためには、本を多く読むこと。他人の書いた文章を読まなければ自分の考えを上手に表現することはできない。将来、子供たちが大きくなる頃には、ますます自分から情報や考えを発信していかなければならない時代になると思う。そんな時代に備え「自分の考えを表現する」能力を身につけさせるべきだと思っている。
・・・核家族化はまぎれもなく進んでいる。家族の単位が小さくなり、子が結婚して出て行くまでの短期間のものになっていくのだ。ひとつの家族の存在期間が三十年ぐらいだったりする。けっこう共感を覚える箇所だ。特に「子育てや教育上に(家族が)有効」というあたり。家族の環境が子供たちを育てていく中で大切な場になっている。兄弟げんかでどんなに親がきりきりさせられても、それは大切なことだと思う。
家族とは、もともと、経済や子育てや教育上に有効なだけではなく、感情的一体感をもてる場である。
<略>難問の宿題を小学五年生に出した。狙いは考える力の検証だ。<中略>ところがある児童が提出したノートに鉛筆の跡はない。<中略>ネットで検索したページのコピーがそのまま張ってあった。<後略>子どもとインターネットを考える上でのひつとの回答だと思う。
「文章題を解くのに必要なのは算数の能力だけではなく、問題の意味を理解するため国語力が必要」一方で、
問題になる文章は国語的にしっかりしていなければならない。問題文の悪文の例として、いくつかの○○算があがる。
問題が悪文であったら何を答えればいいか分からない。
つるかめ算設問では状況の設定がいかにも不自然で、問題の読解よりもシチュエーションの不自然さに気をとられてしまうようでは、文章題の読解力を試す本質を阻害してしまう。
旅人算
植木算
仕事算
流水算
ツルとカメがあわせて8匹、足の数があわせて26本であるとき、ツルとカメは何匹いるか。というときに、足の数だけを数えるような状況が考えられない、というのだ。ツルとカメを数えるときにあわせて8匹、とは、数えた結果でありその過程で何匹ずつか分かっているはずだ。というのだ。
教育と競争の問題
もっとも重要な能力、「学ぶ方法を学ぶ」
IQよりもCQとPQが重要
CQ (Curiocity Index, 好奇心指数)
PQ (Passion Index, 熱意指数)
なりたいからやりたい、好きなことをする、という情熱
人を好きになる。
右脳の資質
右脳のスキルを磨く方法--自分の好きなことをやる